歴史・沿革
私たち太陽工業は、1922年、能村テント商会として創業し、
その後、戦後の焼け野原の中、ミシン一台ハサミ一丁から再スタートを切りました。
創業以来、「少しでも社会の役に立ちたい、一人でも多くの人に感動を届けたい」という思いのもと、
「膜」素材の特長を活かしたユニークな製品を世に送り出してきました。
1922年(大正11年)
能村テント商会として能村金茂が創業、
その後、戦時下の企業整備法により廃業。
1922年(大正11年)能村金茂(3代目社長:能村光太郎の祖父)が大阪市大正区にて「能村テント商会」として創業。新しい技術を積極的に導入した製品開発を進める。中でも1929年(昭和4年)にキャンピングテントとして開発された「モダンテント」は、空気で膨らませた自転車のチューブを支柱とし、それを綿布で覆う構造の商品で、今日の空気膜構造のエアービーム方式の原型でもある。しかしながら、第二次世界大戦の激化に伴う企業整備法の公布により1943年(昭和18年)に廃業を余儀なくされた。
1946年(昭和21年)
太陽工業株式会社を創立。
敗戦後の1946年(昭和21年)、能村龍太郎(能村光太郎の父)が「能村縫工所」として足踏みミシン一台とハサミ一丁で事業を再建。ヤミ資源を運ぶリュックサックや船舶用シートを製造し、翌年、1947年(昭和22年)には株式会社に組織を変更、社名も現在の太陽工業株式会社となった。その年のうちに能村博正(能村龍太郎の実弟)も事業に参加し、室内装飾、劇場・映画館の幕やカーテンの製造施工へと事業を拡大させ、やがて新しい合成繊維の誕生に伴い大型テントの製造を目指すようになる。その先駆けが1956年(昭和31年)に設計、製造を行った木下サーカスの大テント(長さ:37.8m、幅:46.8m)で、その後も複数の大型テントを試行錯誤の末に完成させる。
1955年(昭和30年)
貸テント・室内装飾部門を分離独立、
太陽テント株式会社を設立。
ダイハツのオート三輪「ミゼット」の幌を大量受注。
ダイハツ工業のオート三輪ミゼットの幌などを製造する傍ら、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風による大規模な堤防決壊時、その復旧のために太陽工業の粗朶枕床用ビニロンシートが大量に使用され、日本のジオテキスタイルの発展において先駆的な役割を果たした。
1964年(昭和39年)
太陽工業・東京太陽・太陽化学の3社が合併、
新太陽工業を設立。
輸送におけるコンテナ化の動きを予見してフレキシブルコンテナバック「商品名:タイコン」や、海洋土木工事での汚濁拡散を防ぐ汚濁防止膜「商品名:シルトプロテクター」の開発・販売をスタートさせ、ビジネスの裾野を広げていく。
1970年(昭和45年)
大阪万博開催。パビリオンを多数施工。
日本万国博覧会でテントの花を咲かせ、
大型膜面構造物の概念を変えた。
膜構造の研究会設立やテントの設計コンペを企画することで、技術やアイデアを蓄積、その結果1970年(昭和45年)、大阪にて開催された日本万国博覧会では、大空間構造の手段としてさまざまなテント構造物(膜構造建築物)が実現することとなった。世界初の低ライズによる巨大空気膜構造の「アメリカ館」や、直径4メートル、長さ60メートルのチューブ16本を連結して作った鞍型形状ドーム(エア・ビーム方式)の富士グループパビリオンなど、過去に類を見ないテント建築物が誕生、特に「アメリカ館」は後にアメリカでブームとなった巨大スタジアムの構造方式にも採用されている。
1975年(昭和50年)
沖縄国際海洋博開催。
パビリオンを多数施工。
1985年(昭和60年)
科学万博つくば’85開催。(第二次博覧会ブーム到来)
パビリオンを多数施工。
1988年(昭和63年)
奈良シルクロード博、海と島の博覧会(広島)開催。
パビリオンを多数施工。
1988年(昭和63年)
東京ドーム完成
(当社にて屋根膜製造・現場取付け、元請は竹中工務店)。
1987年(昭和62年)建築基準法第38条の規定により、特定膜構造建築物技術基準に基づく膜構造建築物が一般認定され、恒久的な建築物としての利用が日本でもスタートする。 また、当社で膜屋根部分の製造・施工を行なった東京ドーム(設計:日建設計・竹中工務店/施工:竹中工務店)が1988年(昭和63年)に完成、それ以降、1990年(平成2年)のあきたスカイドーム(設計、施工:鹿島建設)をはじめ、雪国における屋根付きグラウンドなどで膜構造が採用され、実績が飛躍的に増加した。
1992年(平成4年)
財団法人能村膜構造技術振興財団を設立。
米・バードエアー社の株式100%を取得。
1992年(平成4年)アメリカ最大の膜構造メーカーバードエアー社を完全子会社化、また、日本のバブル崩壊以降、アジア、オセアニア、ヨーロッパへと拠点を広げていく。特に中国では上海国際サーキット場のサブスタンドを皮切りに積極的なビジネスを展開、中国国内での設計・製造・施工体制を確立する。 一方国内においても2002年(平成14年)に開催された日韓共催のサッカーワールドカップでは埼玉スタジアム2002をはじめ5つのスタジアムでスタンド屋根を製造施工、その実績が評価され、その後のドイツ、南アフリカ、ブラジルの大会においても各国でプロジェクトに参画した。
1993年(平成5年)
能村龍太郎、勲三等瑞宝章を受章。
2000年(平成12年)
英国ロンドンにある世界最大のドーム
「ミレニアム・ドーム」の膜屋根を施工。
2001年(平成13年)
枚方工場、
「ISO9002」品質システムの認証(審査登録)取得。
2005年(平成17年)
愛・地球博にて植物由来や再生可能な膜材を開発、
各種施設に採用される。
2011年(平成23年)
原子炉建屋カバーテントで
福島第一原発(一号機)を膜で覆う計画に参画、
事態収束の一翼を担う。
2016年(平成28年)
膜構造を体感できる施設として、大阪本社に
「MakMax FLEX EXPERIENCE CENTER」完成。
2020年(令和2年)
医療用陰圧テントで発熱外来用に増産体制を敷き
医療施設などに供給する。
2023年(令和5年)
太陽グループ3社の社員が融合する
新拠点「大阪キャンパス」完成
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1922年(大正11年)
能村テント商会として能村金茂が創業、その後、戦時下の企業整備法により廃業。
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1946年(昭和21年)
太陽工業株式会社を創立。
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1947年(昭和22年)
太陽工業株式会社を設立。
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1955年(昭和30年)
貸テント・室内装飾部門を分離独立、太陽テント株式会社を設立。
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1964年(昭和39年)
太陽工業・東京太陽・太陽化学の3社が合併、新太陽工業を設立。
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1967年(昭和42年)
米国駐在員事務所をニューヨークに設立。
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1970年(昭和45年)
大阪万博開催(大型膜面構造物の概念を変えた)。
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1971年(昭和46年)
米・ホルコム社の株式取得、本格対米進出開始。
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1983年(昭和58年)
本社事務所ビル完成。
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1988年(昭和63年)
東京ドーム完成(当社にて屋根膜製造・現場取付け、元請は竹中工務店)。
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1992年(平成4年)
財団法人能村膜構造技術振興財団を設立。 米・バードエアー社の株式100%を取得。
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1993年(平成5年)
能村龍太郎、勲三等瑞宝章を受章。
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1997年(平成9年)
バードエアー社がドイツ大手のテントメーカー、
ストロマイヤー・アンド・ワーグナー社の株式100%を取得。 -
2000年(平成12年)
タイに太陽工業タイランド株式会社を設立。
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2001年(平成13年)
枚方工場、「ISO9002」品質システムの認証(審査登録)取得。
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2002年(平成14年)
瑞穂工場、「ISO9002」品質システムの認証(審査登録)取得。
中国、上海に「上海太陽工業膜結構有限公司」を設立。 -
2003年(平成15年)
タイ国に「THAI TAIYO TENT CO.,LTD」を設立。
太陽工業がオーストラリアの「SHADE STRUCTURES BIRDAIR Pty.LTD」の株式を100%取得、
「TAIYO MEMBRANE CORPORATION, INC」に社名変更。
米国に「TAIYO BIRDAIR CORPORATION」を設立。 -
2004年(平成16年)
テント倉庫の設計・製造および施工で「ISO9001」品質システムの認証(審査登録)取得。
「TAIYO MEMBRANE CORPORATION, INC」が
ドバイに「TAIYO MEMBRANE CORPORATION-MIDDLE EAST LLC」を設立。
ドイツに「TAIYO EUROPE GmbH 」を設立。 -
2005年(平成17年)
シンガポールに「INTERNATIONAL TAIYO TRADING PTE. LTD.」を設立。
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2006年(平成18年)
米国に「MakMax HD, LLC」を設立。
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2008年(平成20年)
株式会社太陽エネシスを設立。
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2013年(平成25年)
カンボジアに「Taiyo Kogyo (Cambodia) Co.,LTD. 」を設立。
インドネシアに「PT.Taiyo Kogyo Indonesia」を設立。 -
2016年(平成28年)
大阪本社に「MakMax FLEX EXPERIENCE CENTER」完成。
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2022年(令和4年)
能村祐己 代表取締役社長就任
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2023年(令和5年)
太陽グループ3社の社員が融合する新拠点「大阪キャンパス」完成。