太陽工業コラム
山梨県北東部に位置する丹波山村は、
多摩川の源流丹波川と雲取山など険しい山々に囲まれた自然豊かな土地だ。
人口約530人という小さな村ながら渓流釣りや野趣あふれるジビエ料理、温泉を擁するキャンプ場など観光面での注目度も高い。
2023年、丹波山村に太陽工業がNHA (Naoki Hashimoto Architects)とのJV(共同企業体)で設計・施工を受注した新たな庁舎が完成した。
今回、プレゼンから携わった鶴岡 卓也(以下:鶴岡)と田米開 三恵子(以下:田米開)に話を聞いた。
左:鶴岡 卓也(つるおか たくや)
建築技術企画部 建築技術課 2011年入社
右:田米開 三恵子(ためがい みえこ)
建築技術企画部 建築技術課 1995年入社
9社によるコンペを制したのは、
景観を活かした設計とプレゼン力、
そして、未知の業務に果敢に挑むチャレンジスピリッツ。
大手ゼネコンを含むのべ9社の競合を制した受注は、社内外に大きなインパクトを与えた。
当時の受注・着工前夜の状況を鶴岡、田米開の二名が語った。
田米開:
今回のコンペ参加がチームに告知されたのは2020年で、すぐに現地へ下見に行きたかったのですが、コロナ禍だったので来ないでほしいと言われたことを覚えています。弊社を含む10社が参加し、途中1社が辞退され9社によるコンペになりました。競合が多く勝ち抜くのは大変だと思いましたが、膜というニッチな世界一筋で来た私にとっては建築全体に携われる魅力的な機会でした。プレゼンの際もチームごとに人数制限があり私は参加できなかったのですが、わたしたちと一緒に提案した設計事務所さんが作った大きなパースの評判が良かったと聞きました。山や自然を背景に村の人々が集まる新庁舎が描かれた、環境と一体化した素晴らしいビジュアルです。木の素材が持つ優しさも表現できていたのだと思います。
そのうえで鶴岡さんが「ここでしかできないようなことをやります!」と高らかに宣言をした点を評価いただいたのだと思います。
鶴岡:
プロポーザルで設計と施工の提案を検討する中で、さあどうやって建てていくかと考えはじめ、その時点でもうかなり難しいという予感はありました。いっぽう村の方々からの期待も非常に大きく、丹波山村自体そんなに大きな工事はなかなかありませんから、注目案件の中心に自分がいる実感もありました。
コンペの結果は、僅差だったそうですが、我々の提案であれば地方創生の起爆剤になるシンボリックな庁舎ができると皆さんが共感してくださったそうで、そうした声もとても心強かったです。
着工早々に立ちふさがる、地盤改良とセメント供給の壁。
心を癒やしてくれたのは村民たちの気遣いだった。
無事に契約が取り交わされ予定した2021年4月の着工は、結果として2021年9月着工へとずれ込んだ。
それは地盤改良という予期せぬ工事を必要としたためだ。
さらに施工現場はセメントプラントから遠いという、丹波山村ならではの立地的悪条件も重くのしかかってきた。
鶴岡:
当初は2020年7月にプレゼンを行い8月に契約、設計図面の詰めなどを経て翌年3〜4月には着工する予定でした。ところが建設予定地が急傾斜の斜面地にあるため、対策として裏山の斜面途中に山崩れを防止する杭を打つことになりました。抑止杭工事というものでプロポーザルの時点ではわからないことですから別途受注になります。現地に土木コンサルとボーリング調査を入れ地盤状況を調べ、着工は4カ月ほど遅れました。
また、元々新庁舎の敷地には民家が建っており、いずれも空き家でしたがその解体工事も請け負うことになり、着工前からずいぶん長く現地にいましたね。
田米開:
丹波山村にはホテルがなく、宿泊施設といえば民宿と言いますか、温泉旅館が数件ある程度です。コンビニもありません。協力会社さんには若いスタッフも多く、彼らは車で片道1時間程かかりますが街のビジネスホテルから通ってくれていました。
9名いた太陽工業の人間は男女に分かれて2軒の旅館に泊まり込んでいました。この旅館のみなさんが親切な方で、私達を子供や孫のように可愛がってくださるんですよ。朝晩の食事は美味しく、お昼は全員にお弁当を作ってくださって、そもそも工事現場までは歩いて3分程度ですからとても楽でしたね。地場産の川魚やジビエはとても美味しく、時々東京に帰るときには穫れたての野菜をお土産に持たせてくださったり。鶴岡さんをはじめ、みんな痩せる思いで苦労しているのに太ってしまって(笑)。私も温泉の効能で肌ツヤツヤになりました。
鶴岡:
苦労といえばコンクリートプラントとの距離の問題もありました。峠越えで片道70分もかかるんです。乗用車同士でもすれ違えないような箇所もあり、10トンのミキサー車では急がせることもできません。コンクリートは生物ですから時間が経つと固くなってしまい品質を保つことが非常に困難です。苦労して届いたと思ったら固くなっていて打設ができず満載のまま帰っていただいたり、逆に前の打設工事が長引いたために使用することができなかったり、皆さんにご迷惑をおかけするトラブルやロスが何度かありました。
足りなければまずいし多すぎると無駄になる。追加でもう少しというわけにも行きませんから数量の計算や発注計画には本当に苦労しました。冬場は寒いので施工しにくく、夏場は乾くのが早かったり、コンクリートの施工経験はもっと積まなくてはと身にしみました。
技術を結集した集成材による梁、砕石作業から生まれた銘板、
苦難をバネに作業は進む。
完成までは一日たりとも気を緩めることはできなかった、という二人。
最も神経を使ったのは新庁舎天井の梁部分だ。
部材搬入のために採られた集成材を使う工法は高度な技術力を必要とし、
実績ある協力会社とのチームワークが成功に導いた。
田米開:
木構造による屋根の梁部分は、自然素材と人の調和という点で丹波山村新庁舎の大きな見どころです。普通は大きな梁をドーンと架けてしまえば済むのですが、セメント同様道路の問題があり、あまり大きな部材を運び込むことは困難でした。そこを設計事務所さんが工夫をこらし、断面の狭い小さな集成材を組み合わせる工法を採用しました。コストも考え、最低限の人数で作業を進められるよう采配しましたが、実際に工事が始まりますと、組み合わせの手間は大変なものでした。
鶴岡:
イメージ的にはかまぼこ型の屋根を木製のフレームで1mずつ端からつないでいくのですが、全部で30スパンあるため相当な精度管理が必要です。スパンごとに何ミリかずつでも誤差ができると全スパンを取り付けた先では大きな誤差が出てしまいます。両端部にはカーテンウォールという大きなガラス面が設置されているため、素材的に相当高い精度を要求されます。
集成材の梁は3種類の部材で組み合わされており、部材単体は細くて柔らかく精度を保つのが非常に難しいため、コンクリートの躯体にしっかり固定できる中央の位置から取り付け始め、梁が蛇行しないよう梁芯の精度管理をしながら1本ずつ組み立てていきました。
端に向かって組み進めてカーテンウォールが取付く位置でどのくらいの誤差が生じるかが問題でしたが、結果としてすべての梁を要求精度に収めることが出来ました。
集成材を担当される協力会社さんとは、図面と部材の取付け誤差から夏の高温による膨張誤差まで綿密な打ち合わせを何度も重ね、結果としてすべての梁で誤差は許容範囲内に収めることができました。作業も順調に進み、会心の出来というところです。
集成材を担当された協力会社さんはこのタイプの施工経験がとても豊富で、これでいきましょうと言った数字がすべてそのまま収まりましたから、本当に感謝しています。
この協力会社さんは施工経験がとても豊富で、これでいきましょうと言った数字がそのままですべて収まりましたから本当に感謝しています。
田米開:
日常的に取引いただいている協力会社さんではありませんが、現在豊洲からの移転工事を手掛けている新豊洲Brilliaランニングスタジアムの現場で別の工種で参加しておりました。そういったご縁で今回ちょっと難しい工事になりそうだと伝えたところ早い段階から親身になって相談に乗ってくださり、本当に感謝しています。
険しい山々に囲まれた自然豊かな丹波山村。
環境と一体化し、災害にも強い新庁舎をつくるべく、
コンクリートを活用しながら、木材が持つ独特のやさしさを表現した。
ここにもう一つ丹波山村の自然をいかした証がある。
鶴岡:
丹波山村では地中障害への対応もありました。9月に着工した途端、地中からとんでもない量の石が出てきました。それも1mを超えるテーブルのような大きさの巨石がゴロゴロ出てくるんです。まさに想定外の話ですが、石をすべて撤去しなければ柱状改良の作業も進まないので「地中障害撤去作業」に3カ月近くを要しました。しかも作業後には撤去した石が約2,000tも残されます。石の処分にはさらに費用がかかりますから破砕機をレンタルして現場で細かく破砕することになり、約2カ月間は施工現場が砕石工場と化していました。
田米開:
砕石にも後日談があります。砕いた石は外構の仕上げ材などに活用しましたが、ひとつをきれいにカットし「丹波山村役場」と刻み銘板にしたんです。その石の断面には黒い染みがあるのですが、これが丹波山村を舞台とする人気アニメ「鬼滅の刃」の主人公、炭治郎くんの顔にあるアザと似ていると言うんですよ。施主さんはじめもスタッフみんなが「炭治郎石」と盛り上がり、銘板の書体も鬼滅の刃で使用される独特のフォントが採用されています。ファンの方にはぜひ、確かめに来ていただきたいですね。
「山梨県建築文化賞」受賞と、伝統行事「御松曳」で思う歴史を担う仕事への充足感。
2023年3月25日には落成式が盛大に行われた。その年の4月からは供用が開始。
村民たちとともに丹波山村の未来を創る新庁舎は、栄誉ある山梨県建築文化賞を受賞。
そして2024年1月、鶴岡はふたたび新庁舎を訪れた。
鶴岡:
2023年1月、新庁舎の引き渡し直前、コロナ禍で数年見送られてきた丹波山村の伝統行事「御松曳(おまつひき)」が行われました。「御松曳」は太鼓やお囃子を鳴らし唄いながらにぎやかに村内を練り歩くお祭りで300年以上の歴史があるそうです。新庁舎が完成し共用を開始した2024年1月にも行われ、私も見に行きました。プロポーザルのときにインパクトを残した大きなパースの話しをしましたが、新庁舎を中心にした街道の賑いはまさに御松曳の場面を描いたものです。
ゴールとなる道祖神までの道中、庁舎の前では盛大な餅まきが行われます。新庁舎は上屋とコンクリートの部分が街道に面したテラス状になっており、ここを「餅まきテラス」と呼ぶのですが、私もテラスから投げられるお餅やみかんを追いかけながら「このためのテラスだったのか」としみじみ思いました。この先何十年も何世代にもわたる村の方々が私たちの作ったテラスから投げられる餅を追いかけて盛り上がることを想像し、歴史の一端に参加し未来を造る仕事への達成感がひときわ大きくなりました。
歴史の一端を担った感慨を語る鶴岡は、落成式を振り返り政財官民の壁を超え多くの人々が力を合わせたプロジェクトだったことを強調する。
そして田米開は社内外への感謝と共に社風を守る意志を語った。
鶴岡:
落成式も役場職員の皆さんをはじめ村会議員や国会議員の方々もお祝いに駆けつける盛大なものでした。国会議員の方は建設中から新庁舎を見守っていただいた地元選出の方がお二方来られました。お1人は環境省副大臣を務められた堀内詔子さん、役場との関係を密にとっていただき、環境省の補助金による「Nearly ZEB」の取得にもご協力をいただきました。また、内閣府の副大臣を務めていらっしゃる方もいらっしゃっていましたね。政財官民それぞれの立場が協力しあって完成したプロジェクトの大きさを改めて感じました。
「山梨県建築文化賞」は山梨県の方からエントリーしませんかと勧められ、最優秀賞にあたる「建築文化賞」を受賞しました。田米開さん、役場のご担当、設計事務所さんと一緒に授賞式に参加し、私たちももちろん光栄で嬉しかったですが役場の皆さんもとても喜ばれていて、苦労を分かち合えたことが忘れられません。
田米開:
今回のプロジェクトでは丹波山村の皆さん、工事に携わった皆さんへの感謝はもちろんですが、太陽工業という企業の素晴らしさを強く感じました。実績が少なく競合社も多いコンペへのチャレンジを決断してくださった上層部には感謝していますし、良くも悪くも鈍感力が強く発信力の十分でない私たちを後方支援してくださった社員の皆さんはとても頼もしく感じました。国土事業部の製品である雨水浸透施設を導入したとき、スコップ1本で応援に駆けつけてくださった皆さんにもずいぶん助けていただきました。現場での一致団結は太陽工業が持つ昔ながらの社風で、これからも大切にしていきたいなと思います。
熾烈なコンペに始まり、地盤改良、困難なセメント輸送、地中障害と砕石処理など多くの難題を語りながらも、鶴岡、田米開の表情からは終始笑顔が絶えなかった。
それは丹波山村で村民の方々と過ごした時間を懐かしみ、見知らぬ土地の歴史に加わることができた充足感がもたらす笑顔だ。
今日も日本のどこかで多くの太陽工業スタッフが汗を流し、知恵を絞り、ときに頭を抱えながら、住民の方々とともに新たな歴史を創っている。