太陽工業コラム
新駅への採用は全国初!心地良い風が吹き抜ける膜屋根の「箕面萱野駅」と、耐震性・耐久性に優れた膜天井の「箕面船場阪大前駅」が誕生
北大阪急行電鉄「箕面萱野駅」「箕面船場阪大前駅」
2024.06.20
2024年3月、大阪北西部の緑豊かな箕面市に、北大阪急行電鉄「箕面萱野駅」「箕面船場阪大前駅」の2駅が開業した。大阪メトロ御堂筋線に直接接続しており、大阪中心部まで電車1本でアクセスできる。箕面市民の悲願だった同プロジェクトに、太陽工業の膜技術が採用された。
しかし、その道のりは平坦ではない。2年経ってもデザイン案が固まらず、着工後も多くの変更が発生したのだ。箕面市の強い想いと、太陽工業はどう向き合ってきたのか。
営業を担当した泰井 德誠(以下:泰井)と鹿間 充(以下:鹿間)が、その舞台裏を語った。
左:鹿間 充(しかま みつる)
建築営業本部 大阪営業部 大阪営業2課 2018年入社
右:泰井 德誠(たいい やすなり)
万博推進本部 営業部 1993年入社
「金属」の屋根を「膜」に覆した営業力。
しかし、2年後に計画頓挫の危機が訪れる。
箕面市待望の延伸プロジェクトが始動した。しかし、時すでに遅し。
太陽工業がニュースを知った時には、屋根の素材が金属で決定していた。
圧倒的に不利な状況だが、泰井はある突破口を見つける。
泰井:
北大阪急行電鉄の延伸事業は、約50年前から検討されてきた一大プロジェクトです。私は以前から箕面市エリアの担当で、市役所のご担当者様とは長年のお付き合いでした。もちろん北大阪急行電鉄の延伸計画について知っていましたが、始動するとは寝耳に水です。ニュースを聞いてすぐご担当者様にご連絡しましたが、時すでに遅し。屋根の素材は金属に決まった後で、ご紹介いただいたコンサル会社や設計事務所に掛け合っても「難しい」の一点張りでした。市役所もダメ、コンサル会社もダメ、設計事務所もダメなら、市長に提案するしかありません。
あの手この手を尽くして、市長とお会いする約束を取り付けました。カタログと口頭だけのシンプルな提案でしたが、明るく風通しの良いイメージに市長が共感。若くて新しいことにも意欲的に取り組む市長で、膜屋根について興味をお持ちだったことも追い風になりました。プレゼンに、スクリーンや動画などの飛び道具は一切使っていません。対面の泥臭いプレゼンでしたが、するりと潮目が変わっていきました。2018年は大阪府北部地震や台風など災害が多かった年。「金属素材の屋根は被災したが、膜素材の屋根は影響を受けなかった」という災害に強いエピソードが決定の後押しになったのだと思います。
一方、真の正念場はここからでした。市長が求めていたのはインパクトのあるデザイン。何度プレゼンしても首を縦にふっていただけません。設計担当者の力を借りてCGと模型でイメージを伝えましたが納得いただけず、気が付けば2年の歳月が流れていました。
2020年には新型コロナウイルス感染症が世界に蔓延しました。他市町村と同様、箕面市の予算はひっ迫して計画頓挫の可能性が浮上しました。「計画が白紙になれば、2年間の努力が無駄になる」。この時ほど肝を冷やしたことはありません。1年が終わろうとする師走の最中、新市長との約束をようやく取り付けて、後援会事務所へと出向きました。奥様も同席されてのプレゼンです。これまで培ってきた知識と営業力を総動員して膜屋根の必要性をアピールしたところ、新市長が昔から太陽工業の歴史や膜の魅力をご存じだったと判明。「任せて安心できる会社」という厚い信頼が、計画実行へと導いてくれました。心の底から安堵しましたし、この時ほど太陽工業の歴史や信頼に感謝したことはありません。
「できない」ではなく「できる方法を考える」。
技術力と対応力で夢を叶えるプロ集団。
2年間のやり取りを経て、ようやく着工へ。
しかし着工前での大幅な形状変更や、鉄骨工場とのやり取りにも問題が発生。
そのうえ工期の変更はなく、製作期間がどんどん短縮されて余裕がなくなっていく。
数々の難題にどう対応するのか―。入社5年目、鹿間の挑戦が始まった。
鹿間:
私は昔から鉄道が好きで、「いつか鉄道案件を担当できれば」と入社前から夢見ていました。今回のプロジェクトは面積・受注金額ともに入社以来一番大きな案件ですし、鉄道の延伸に関わるチャンスはなかなかありません。当時上司だった泰井さんからプロジェクトを引き継いだ時は、うれしさ半分、緊張半分でドキドキしていました。
しかし、このプロジェクトは受注前からいくつかの難題を抱えていました。一つは、設計・工事費決定後の大幅な形状変更です。箕面萱野駅の屋根はプラットフォームの先端に向かってせり出すようなデザイン。しかし、市長が最終設計図をご覧になった時「もっとインパクトを」と判断され、再検討することに。予算もギリギリに組まれており、工期も工事費も変更不可。施工主も現場も「無理」と突っぱねる状況下では、社内の設計担当者に頑張ってもらうしか方法はありません。その後もたびたび変更が発生して製作時間は短くなったそうですが、設計担当者の技術力が帳尻を合わせてくれたと聞いています。
難題の二つ目は、鉄骨工場とのコミュニケーションです。太陽工業が使っている膜屋根の鉄骨は特殊な形状であり、本来ならば経験のある協力会社に依頼します。しかし、予算の兼ね合いから膜屋根鉄骨の加工経験のない鉄骨工場で対応いただくことになりました。事前に設計担当者、工事担当者、購買担当者を連れて工場を訪問。打ち合わせを重ねましたが、直前で変更対応があったため材料の発注と製作着手が遅れてしまい、工程遅延が発生してしまいました。当初の完工予定時期に間に合わないかと思われましたが、何とか工程調整と是正対応を実施いただけることに。今振り返ってみても、当初の工期で完成できたのは奇跡としか思えません。工事担当者が本当によく動いてくれて、的確に采配してくれたからこそ難を逃れることができました。
後日、他の協力会社の方から「太陽工業は昔から<できない>と言わずに<できる方法を考える>のが魅力」と言っていただきました。「できない」と言えば簡単ですが、私一人の問題ではありません。当社とクライアントの信頼関係には歴史があるからこそ、たとえ難題をいただいたとしても「できない」と即決せずに「できる」方法を考えるようにしています。
今回のプロジェクトは規模が大きかったので、設計・工事・購買の担当者には箕面市と直接やり取りしてもらいました。イレギュラーな変更が多かったので、皆、右往左往しながら自分の役割をまっとうしてくれたのでしょう。技術力・対応力・粘り強く向き合う一人ひとりの姿勢が、信頼の歴史を作り上げています。
膜屋根のプラットフォームが完成。
この信頼が次の仕事へとつながっていく。
難題を乗り越え、計画通りに竣工へ。
チームワークで成し遂げたビッグプロジェクトは、
業界誌が取り上げるほどクオリティが高く、他市町村や企業からも高評価を受けている。
売り手良し・買い手良し・世間良しの三方良し。まさに、太陽工業が誇るべきプロジェクトだ。
鹿間:
竣工時は箕面市役所のご担当者様より「無茶なお願いをしましたが、都度対応いただき大変助かりました。ありがとうございました」と感謝の言葉をいただきました。事故なく計画通りに遂行できたのは、うれしい限りです。
工事中は「大丈夫ですか」が口癖になるほど、綱渡りで歩んだプロジェクト。不安はありましたが、辛いとか逃げたいと思ったことは一度もありません。生きているうちに二度と出合えるかわからないほど大きな案件に携わっているという誇りが、自分自身を突き動かしていたと思います。「半世紀に1度のプロジェクト」だと皆もわかっていたのでしょう。高いモチベーションのまま最後まで駆け抜けられました。
その結果、我々の製品が7~8施設に採用されました。これだけ多く採用された事例は、社内を見渡しても恐らくないでしょう。特に「箕面船場阪大前駅エントランス」は建築雑誌に取り上げられるほど注目度が高く、他市町村や企業からも高評価をいただいています。まさに太陽工業が育んできた力の結晶だと感じています。
箕面船場阪大前駅エントランス
泰井:
陽の光が降り注ぎ、心地良い風が吹き込む「気」の良い空間、それが膜屋根の魅力です。前市長はデザインに強いこだわりをお持ちで、決して妥協を許しませんでした。
「住民が帰宅した時に、気持ちの良い空間を提供したい」
「大阪駅のようにインパクトのあるデザインを」
「箕面船場阪大前駅は『<繊維のまち>と<新しいまち>その玄関口となる駅』がコンセプト」
など、箕面市の明るい行く末を願う想いに、私たちはとことん寄り添ってきました。完成した膜建造物は、当初思い描いていたイメージそのもの。皆様にもその心地良さを実感いただけたと聞いて、とてもうれしく感じています。
2020年に計画が頓挫しかけた時、私を救ってくれたのは「大阪発祥の信頼できる会社」という信用でした。本プロジェクトの成功が他の仕事にもつながっており、まさに三方良しの仕事になったと実感しています。
夢を語れば、未来が動き出す。
次なる使命は「2025大阪・関西万博」。
「スーパー営業マン」の異名を持つ泰井と、堅実な仕事ぶりで信頼の厚い鹿間。
タイプの異なる2人の営業が、ビッグプロジェクトを成功に導いた。
しかし、入社当初からスター選手だったわけではない。
目標と現実の狭間でもがきながら、自分らしい営業スタイルを確立してきた。
泰井:
営業職は、相手の役に立つことが最終自分につながっていく仕事です。売り手良し、買い手良し、世間良しの三方良しがモットーの一つ。受注というゴールにたどり着き、最後にご満足いただけるのが大きなやりがいです。
しかし、入社当初は失敗の連続でした。何をやっても受注につながらず、営業トークの台本を書いてから臨んでいたほど。そこで胆力が培われたのでしょう。20代後半に比較的大きな案件を受注でき、それが成功体験になりました。「仕事が楽しい」と言えるほどではありませんが、手応えは感じていたと思います。本当に変わったのは、40代に入ってから。完成図をイメージして語るようになってから、提案が次々通るようになりました。夢を語るとわくわくしますし、クライアントもビジョンが広がって話が盛り上がります。「夢を語ってお客さんの心を動かす」がモットーとなり、仕事が面白くなっていきました。情報・知識・人脈はもちろん大切ですが、夢こそが相手の心を動かす鍵だと感じています。
現在は「2025大阪・関西万博」関連のプロジェクトを推進中。膜の魅力を最大限に伝えられるステージですので、必ずや成功に導きたいと考えています。将来は世界規模の案件にも携わってみたいですね。
鹿間:
本プロジェクトを振り返ると反省点ばかり浮かびますが、他部署と対話して専門知識が増えたり、急な変更で対応力が培われたり、と成長できた部分が多々ありました。
私は口下手で、要領の良い方ではありません。だからこそ毎日業界誌に目を通したり、周りの電話対応に耳を傾けたり。大先輩から教わった仕事術を胸に、早い対応・早い返事、相手の立場に立った考え方、状況を俯瞰したモノの見方を心掛けて、信頼獲得につなげています。
太陽工業は、皆、実に個性豊かで営業のタイプもさまざま。私は埼玉県出身なので、入社当初は大阪の風土に慣れるだけで精一杯でした。関西弁が強い口調に感じてしまい、いつも緊張していたと思います。そうこうするうちに、やがて部署異動で周囲の人が変わったり、扱う製品が変わったり。働く環境が流動的に変化して、働きやすくなりました。しんどい時でも続けられたのは「3年は頑張ろう」と思っていたから。実績が増えるにつれて知識や自信も付いて、道が拓けていきました。
今回のプロジェクトは受注から担当しましたが、今後は提案から最後まですべてを担当するのが目標。どんどん入ってくる後輩に追い越されないよう、キャリアを駆け上がっていきたいです。